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炭坑昔ばなし (昭和47年1月)
松 本 光 雄
藤島の隠居と私のつきあいは、終戦後まもなく私が伊予の山奥からリュック一つ担いで田川の島廻炭砿に就職したときから始まる。
始めはおもしろ半分に聞いていた炭砿の昔ばなしを私が真剣にメモし始めたのは7・8年もたって九州炭鉱保安協会発行の「保安の友」編集委員を委託され、昔ばなしを書いたらと、相談を受けてからである。
私は作家ではない。一採鉱屋である。従って取材の機会にも乏しいし、勿論そんな経験もない。勢い藤島の隠居にすがらざるを得なくなって頻繁に、隠居の家に通ったものである。
私の書く炭坑昔ばなしは、広い意味の昔ばなしではない。藤島千太郎という一老人の思い出話である。だから今どきの人にはおおよそピントの合わない話も次々と出てくる。
なにしろ隠居は日清戦争(1894年)以前に生まれた人である。いまもって幽霊の存在もハッキリ認めるし、狐や狸が人を化かすことも信じきっている。そのためあるとき
は死霊にも出合うし、またあるときは狸に炭車を走らされたりもした。
語っている本人は大いにまじめである。
私はあえて隠居の話に逆らおうとは思わない。そしてそのまま素直にメモしてきた。なぜなら、70年このかた持ち続けているこの老人の美しい幻像を私のつまらぬ理屈で踏みにじるより、そのままそっとしてやりたかったからである。
四国には炭鉱は少ない。しかし筑豊より古い歴史を持つ鉱山は多い。そしてどの鉱山にもそれなりの虹のような美しい昔ばなしを秘めているのではあるまいか。私はそれが知りたい。そんな話題を持つ古老に会って四国鉱山独特の昔ばなしを聞きたいと思う。そのような機会があったら何分のご援助を賜るようお願いして炭坑昔ばなしを書き始める。