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材木町から教育大学の坂を上る7kmを3周。
1周目を39分、2周目37分、3周目36分としり上がりにタイムを縮めた。
1周目は身体が動かなかった。
3周回れるのだろうかと思っていた。
1周回ったところで、家の前に車が停まっていたので義兄が来ていたのを知っていたが構わず2周めに入った。
2周目を終わっても車が停まったままだったので3周目に行った。
3周回ったところで車がなかった。
サウナに行ったようだったので、走り終えて家人にサウナへ送ってもらった。
その後は一緒にビールを飲んで、日本酒を鱈腹のんだ。
名古屋国際女子マラソンの結果もわからず、気がついたらベットの中。
飯を食べてないのと、のどが渇いて水ばかり飲んでtるので胃の調子が悪い。
結局21kmを1時間52分で走った。
今月の走行距離49km。
第27話
米騒動
大正七年七月十二日、福岡県田川郡添田町峰地炭坑に米騒動が勃発した。
激昂した群集は、まず配給所(炭坑直営購買部)を襲い、余勢をかって商店街を荒し、坑外にあった炭車を全部坑内に暴走させたのち、桟橋を切り倒し、巻揚機をダイナマイトで破壊してボタ山に集結した。
警察でも手い負えなくなって、一日おいて十四日小倉十四連隊から武装した一個小隊が派遣され実弾を射撃する結果まで発展して、翌十五日にようやくこの騒動も一応鎮圧することができた。
この軍隊の放った実弾によって下関重砲兵帰りの小江仙作(28)という青年が、左腋下より右側腹部へかけて貫通銃創で重傷を負うという悲劇まで生んだ。
この暴動に参加したもの三百、そのほとんどが青年層であったという。
この年は、松の内の飾りもとれないうちから、炭坑に限らず日本国中は、不景気のドン底に叩きこまれてしまった。
たった三年前の景気が、まだ誰もの頭にこびりついて、僅かな希望をたよりにつるはしを握ったがつるはしの一振り毎に不景気は、その刃先から崩れて落ちる炭魁のように容赦なく次々と足元から伸び上がってきた。
日々上がるのは暑気と米価ばかり。これを本当に暑くるしいというのだろうか。にもかかわらず、暑くるしい噂、と米騒動直後の新聞記事が見える。いつの時代でも黒い霧は発生したらしい。
年始めに28銭であった米が、五月から急に上昇しはじめ、七月には50銭からすぐ60銭となり、もうすぐ一円になろうとした。それに逆比例して、一函33銭であった切賃は、会社の経営が成り立たないという理由から、29銭に下げられ、あまつさえ2函取り以上を禁ぜられる始末に追いこまれてしまった。
1日どう働いてみても、50銭余りの収入しかない。融資の道もとざされた会社は、賃金の不払いを防ぐため、切符を各ヤマで発行した。
1銭、5銭、10銭、50銭、1円券と五種類あって、1銭券には十斤と書かれ1円券には千斤と書かれた。
この切符は、街の商店にも私鉄駅にも通用した。喘ぐような不景気に堪えられなくなって、積もりに積もった不安と憤まんが、富山の暴動を口火としてついに、田川郡の一角で、爆発してしまったのである。
発端は富山県下の漁村の婦人仲仕を中心とする行動から始まって、富山県を皮切りに京都、神戸、名古屋まで次々に騒動、焼き討ちは広がり役2ヶ月の間に全国一道三府三十二県に波及したという。
「峰地がとうとうやったげな。見に行ってみようか」
夕食の粥をすすっていると、となりの伝助がきて、千太郎を誘った。
「やめとけ、よそどころじゃねえ。こっちが腹がへってたまらんじゃねえか。それに今暴動のまん中に行ってみい。どんな災難が降りかかってこんでもねえ」
「そうじゃろか」
伝助はそのまま帰っていった。寝ようとしていると、四、五人どやどやと千太郎のところへ押しかけてきた。
「千さん、行って見ろうじゃねえか。これだけおりゃあ危ねえこともなかろう。何でも小倉から兵隊がうんと来とるちゅうぞ」
先頭の伝助が千太郎の傍へ来てせき立てていう。余り気乗りはしなかったが、半ば好奇心も手伝って、千太郎は麻裏をつっかけると、みんなの後ろから家を出た。
月のない夜はまっ暗だった。根床峠を越して大任村へ入り、大行事から彦山川の川伝いをぶらぶらと添田へ上がって行った。炭坑が近づくと、あちこちに焚火が見える。
「やっちょるやっちょる、勇ましいなあ」
先頭の伝助は喜びながら一人ではしゃいだ。一つの焚火がつい近くなって、炭坑の入口に来たとき一行はドヤソヤと七、八人の竹槍や棍棒を持った男達に行手をさえぎられた。
「おい、どこい行くとか」
棍棒を持った一人の男が前に進んできて聞いた。
「俺達か、わかっとろうもん、鼻のむいた方たい」
伝助が小馬鹿にしたような口ぶりで肩をそびやかせて言った。
「何よう、こん外道、鼻の向いた方たあなに気のきいたことをこきやがる。これから先は行くことならん」
「いらんお世話だい、天下の公道じゃねえか。通ろうと通るめえとこっちの勝手じゃい。そこどけ」
「ばかたれ、言うて聞かせてもわからんごとありゃ、どやし上げちゃろうか」
「気のきいたことこくない」
伝助がわめいたと同時に、相手の男の棍棒が、ゴボッとにぶい音をたてて伝助の頭へめりこんだ。
「わあっ」
よろめくところへ、外の七、八人がいなごのようにとびかかってきて竹槍の柄でポカポカ叩く、足蹴にする、とうとうその場で伝助をのばしてしまった。
千太郎は驚いた。仲へ割って入ると、ようやく相手をなだめて伝助を抱きおこした。泥まみれではあるが、どこにも出血はない。首から上がみみずばれになって、顔の造作が変わっている。ぼんやり立っている仲間のものを指図して近所の農家から戸板を一枚借りてこさせると、ウンウン呻っている伝助をその上にのせた。
「あんた達、こげえひどい目にあわさんでも、話をすりゃわかったろうに」
千太郎は先頭の男を見上げて言った。
「うんにゃ、あんたもおったから、ようわかっとろうが、これから先を歩いとったら、どんな危ねえ目にあうかわからんから、俺が注意したとにこん外道、何ちゅう挨拶な。
あんた知るめえが、昨日もこの先で、まっ暗闇の中を風呂に行きよった男が、誰かに斬られて死んだとばい。俺達あここで一晩中警戒しとるとにひやかしどころか、鼻のむいとる方へゆくとか何とか、横着も程々にするもんばい。あんた達は、ひやかし見物やろうが、同じ炭坑で働いとる俺達は、生きるか飢えるか、境目でこうしてこれ以上騒動が外から入ってこんように警戒に一生懸命になっとるとばい。ちった俺達の気持ちにもたって貰いてえ」
なるほど暴動見物などとはおくびにも出して言えた義理ではない。
「わかった、黙って帰る」
千太郎は戸板の端をにぎると仲間を指図した。警戒の連中は、ガヤガヤと焚火の方へ引き上げて行った。暗闇の彦山川にそって、戸板の上でウンウン呻る伝助を担いだ千太郎達は、行くときの元気はどこえやら、トボトボと落武者のような恰好で帰った。
「俺も一ぺんはとび出そうかとも思ったが、何せこっちの理屈がようねえ。謝るのもむかっ腹だしと思うてそのまま引きあげたが、いやひどい目にあったよ。伝助かい一週間もねたろうか。
何でそんなにお米が高こうなったかって?うんそりゃ鈴木商会とか言ったかな、恐ろしゅ別嬪の後家が社長じゃったが、こいつが米の買占めをやったんじゃな。今のように米は政府で売っとらんじゃったから、こんな騒動が起きたんじゃな。この騒動があってから間もなく、米は政府で売るようになったよ」
隠居は吐月峯(とげっぽう)にポンポン雁首を叩きつけながらきざみのはいっている抽出(ひきだし)をそろりとあけて覗いた。
