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1時間30分切りを目指したが、気温と向かい風で、体力を使い果たしたようだ。
最初の3kmを13分、5kmは22分、10km44分50秒だったと記憶している。
しかし、釧路湿原のように後半の伸びがなく、ハーフで1時間37分11秒であった。
最後の上り坂は、一昨年より悪かった。
練習量が足りなかったんだろう。
カッチさんにも抜かれた。
残念。
記録を狙うなら、自分より早い人についていく練習をしなければならない。と、走りながら考えていた。
練習量を稼ぐため、今朝も7km行ってきたが、つらかった。
26日の走行距離は、アップも含め24.4km。
27日の走行距離7km、今月の走行距離121km。
第19話
とうへいの日
「隠居、とうへい貰いに来たよ」
茶の間に入りながら大きな声で言うと、藤島の隠居は、恰度切り炬燵の中で、うつらうつらしかけていたところだったとみえ、眠そうな眼をびっくりしたように見開いてから、生あくびをしながらこちらを振り返った。
「おや、今日はもう旧正月の十四日かい。早いもんじゃねえ。たったこの頃よけいな年が一つふえたと思うたばかりじゃのに」
「うちじゃ、もうかき餅も残っとらんよ、何せ親爺より喰う奴ばかりじゃもんねえ」
「じゃあ、とうへいでも祝うてやるかな」
隠居はお手伝いさんに言って、餅焼き網を七輪の上にかけさせた。
「わしらの子供の時分には、今日の夕方から、とうへい貰いに張り切ったもんだがねえ。ショウケや風呂敷を提げてな、納屋の中を一軒一軒、とうへい祝うちょくれ、とうへいおくれと喚(わめ)きながら餅やら、みかんやら時には一銭玉を抛(ほう)りこんでくれるのやらあったりしたもんな」
私は金網の上に餅を並べながら幼い頃の今宵を思い浮かべて話しかけた。隠居も昔を思い出しているのだろう。昔ばなしにかかる前に、いつも決まってちらりと覗かせる、一寸上目づかいの哀愁に似た隠居独特の表情をして言った。
「懐かしいなあ、とうへい貰いか。そうしてみりゃ
昔の炭鉱は貧乏人ばかりのようじゃったが、呑気なもんじゃったねえ。今日は夕方になると、子供達が次々と来るんで、ちゃんと小餅をもろぶたに入れて、それに小銭やみかん、せんべいを用意して待ったもんじゃが、人情なんてものは妙なものでねえ、大抵5,6人が固まってもらいに来よったが、こいつらにゃ小餅を一つずつしかやらん。ところが時たま、ぼんやりしたような子がポツンと一人で、とうへいおくれと入ってくると、ついむげのうなって、お前は一人で来たからうんとやるぞと、小餅を両手で掴んでショウケの中へ入れてやって、おまけに小銭まで投げ込んでやったりする気持ちになったねえ」
「わしはとてもテレくさくて、5,6人のビリから入っていったので、いつも損ばかりしとったよ。大たい、とうへいなんて、どこの習慣じゃろうか」
「こりゃねえ、関西のトンド祭りを真似たもんじゃよ。大阪から西では、こいつを佐義長とも言うが、旧正月の十四日に門松を町内で一つにまとめて、それに火をつけ、その灰で餅を焼いて祝う行事があるが、それからきたんじゃろうと思うな。
ところでこのとうへいがくると、いつも思い出すことがあるんじゃが、この日に大変なことがあってねえ」
ゆうべから降り出した雪は、昼をすぎても止みそもなく、途方もない大きな真綿を、一枚一枚重ねるようにして積もっていった。
あいにく懐具合が淋しいので、手なぐさみに出て行けない千太郎と善助は、たった今、下をせせってガラをつぎ足した七輪の上で、餅を焼きながらうらめしそうに外の雪を覗いていた。
「雪は豊年の貢というから、降るのも結構だが、こう降られちゃあ、やり切れねえ」
善助が役者の声色を出しながら、障子の破れ目から外を覗いていたが
「オンヤ、兄貴何け、あん奴たあ」
と、千太郎を振り返った。
「なんや」
千太郎が破れ目から覗いてみると、六つくらいの髪を高輪に結っている女の子を連れた痩せぎすの、背の高い男の巡礼が、左手に金剛杖をつき、右手でリンを振りながら、飯場の入口に立って帰命頂礼を小さな声で唱えていた。
「ちっ、お遍路じゃねえか」
千太郎は障子から顔を引いた。
「お遍路こたあ、わかっとらい。そのお遍路さんかたい、この雪の降る中に、あげん小まか娘ん子をつれて、門付けせんでもよかろうと思うがねえ。よっぽど深い訳ばし有ろうごと見ゆるじゃねえか」
「待てよ善、何か古紙は無えか。この焼けた餅を、あの娘にやろう。この雪ん中で、大抵寒かろうじゃねえか」
千太郎は、妙に仏心が湧いて、古紙に餅を入れ、黒砂糖と一緒に包んで入り口に立つと、報謝を受けて立ち去ろうとしている巡礼のうしろ姿に声をかけた。
「あ、ちょっとお遍路さん。今日は十四日ですき、ねえちゃんにとうへいを祝いまっしょ。ちようど温こう焼けとりますき、あんたも一緒に食べてつかさい」
巡礼は思いがけない温かい言葉に、一瞬胸をふさがれたような複雑な表情をしたが、千太郎の前に来てから、丁重に遍路笠を傾け礼を言った。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
押し戴くようにして受けた巡礼は。軒下に雪をよけて子供に中の一つをとって握らせた。女の子はだいじそうに、かじかんだ両手で餅を握っていたが、恥ずかしそうに一口齧った。
「ねえちゃんが寒いでしょう。上がって暖まって行ったらどうですか」
千太郎はこの親娘を、再び雪の中へ見送るにしのびない気がしてこう言った。
「はい有難うございます。今日は早う泊まらして貰おうと思うとりますけん、もう少し歩いたら宿を探します。この上、お慈悲におすがりするのも恐縮ですけん、これで失礼させて貰いまっしょ」
巡礼は何度も頭を下げながら、視界を奪ってしまうように降り続けている牡丹雪の中を、子供の手をひいて飯場の角を曲がって行った。
「兄貴もいいとこあるなあ」
善助が感に堪えない表情で千太郎を瞶めた。
「人をおちょくるようなことぬかすとでやすぞ」
言ってはみたが千太郎は、払っても払ってもたった今雪の視界から消えたあの高輪に結った娘の佗しい面影が、痛ましいまでに網膜の裏に焼きついて、ひとり胸を疼かせながら、狐色にふくらんだ金網の上の餅を裏返ししていた。
ものの十分もたったろうか、餅を頬張っていた千太郎は、遽しい人の気配に思わず中腰になった。
「人殺しい、人殺しい。裏の真鍋ん夫婦が殺されとるどう」
雪まみれになった一人の男が、飯場の庭へ転げこんで叫んだ。
「なにッ」
次の瞬間千太郎は、もう裸足のまま土間を飛び出して、降りしきる雪の中を走っていた。善助の他に、二・三人がすぐあとから飛び出した。
真鍋勝一の家の前まで来ると、五・六人の男が家の中へ足を踏み入れかねて、只うろうろと青い顔で騒いでいるところである。
「どけッ」
人垣を突きのけて一歩庭へとびこんだ千太郎は思わず、あっと顔色を変えて立ち止まった。
「どうしたッ」
善助がすぐあとから続いてとびこんできたが、これも息をのんで棒立ちになった。
6畳の中程で、こちらを向いて血刀を提げている男は、思いもかけないたった今しがた餅を恵んで言葉をかけたあの遍路だったからである。
上がり口のすぐ下の土間に、亭主の勝一が袈裟がけに斬り下げられて仰向けに倒れ、まだ手足をピクピク引きつらせていた。窓際で女房が、後ろから一突きにされたものか、背を真赤にそめて向こうむきに伏せている。
子供は、と思って見ると、土間の隅に小さくなって慓えていた。ぐっと胸の中がこみ上げてきて、千太郎は傍らへよると、だまって子供を抱き上げた。千太郎の腕の中で娘の身体は、おびえきった小刻みをつづけた。
「よし、よし、おぢちゃんが来たからな、もう心配するこたあ無え」
頭をそっと撫でると、おびえた上眼づかいで千太郎を見る。子供を抱いたまま、千太郎は遍路の男に近づいた。
金剛杖に仕込んだ刀身の先からは、まだ血のしたたりが、ギラギラと動いていた。
「あんたでしたか」
千太郎は子供を下し乍ら言った。
「どうして叉、こんな手荒なことをやったんです。こんな可愛いい子供がおるのに」
男は刀を畳の上に置いて座ると、前に十文字に手を組んで差し出した。
「冗談じゃねえ。私は刑事じゃありませんぜ、そんな真似はやめときなっせ」
男はうなだれていたが、やがて顔を上げると、眼にいっぱい涙を溜めて千太郎へ言った。
「貴方を男と見込んでお願い申します。私はこれから自首しますけん、この子をもういっぺん娑婆の風に当てられるようになりますまで預かってくれませんでしょうか。私は大橋佐太郎と申します。可愛そうにこの娘は生まれ乍の母なし子じゃったんです」
「何か深い訳がありそうな。わかりました。棟梁に話して、ねえちゃんは預からして貰いまっしょ。さあ立ちなっせ、人がいっぱい見とります」
千太郎は、そっと仕込み杖を引き寄せると、金剛杖の鞘を拾って、刀身を収めた。入り口の人垣がざわついて、大きく二つに割れ、その中を息せき切って駆けつけた駐在巡査と、望月の棟梁の顔が見えた。
巡礼はだまって巡査の前に行くと、手を組んで前に出した。
「よし、縛らんでよか。すぐ駐在署まで来う。千太郎、お前そん杖持って一緒に来てもらおうか。そいから善助、ここはこのまんまにして、本署から係官が来るまで入り口に縄ば張って、人を入れんごっしとけ。棟梁、そん子はあんたんとこい預かっといてくれんか」
一つ一つ指図しながら、巡査はいきなり入り口へ大きな声を出して呶鳴った。
「こらあッ、どかんかあ、見せもんじゃなかど。いつまでん立っとらんと帰れ、帰れ」
「隠居、その佐太郎ちゅう男の身の上話ときいたかい」
「うん、殺された嬶ァが、大たい浮気な女じゃってねぇ。みき、ちゅうその女の子を産むと、百日(ももか)もせぬうちに、男をこしらえて駆け落ちやったんじゃね。佐太郎は毎日買い乳し乍ら働いとったが、どうにも口惜しゅうてたまらんので、乳飲み児を知人に預けて復習を志し、粕屋から筑前口の炭鉱を片っ端から尋ねてあるいたらしい。
みきが五つになってから、無理に頼んで、また自分が貰いうけ、親子で巡礼をし乍ら、次から次と炭鉱を廻り歩いたんじゃね。そうこうするうち一年たち二年目の正月を旅で迎えた。この頃になると、みきも少々智恵がでてしきりに母親を恋しがる。
なだめ乍ら巡り巡ってきたのが、わしのところの飯場の前に立ったあの大雪のとうへいの日よ。わしのところから出て裏へ廻って、一軒一軒門付けをしてゆくうちに、勝一の家の前に立って、帰命頂礼をやりかけたんじゃね。すると中から、ガラッと戸を半開きにして、お遍路さん、とうへいをやろう、と顔を出したのが昔の女房じゃったという訳よ」
「あッ」
女房は顔色かえて六畳へ走り上がった。
「待ちやがれ」
すぐそのあとを、半開きの戸をがらりと開けた佐太郎が中へとびこんだ。
「どうした」
上がり酒をやっていた勝一が、ふり返って佐太郎を見ると、立ち上がりざま燗瓶を投げつけて土間へ飛び降りた。一歩うしろへ身を引いた佐太郎は金剛杖に仕込んだ中身を抜くと、飛びかかってこようとした勝一めがけて、力いっぱい振り下した。
うわおう、喚き乍ら倒れる勝一を飛び越えて、六畳へ飛び上がりざま、中連の敷居を越えて裏へ逃げようとしている女房の背中めがけて、刀身を力いっぱい突き出した。
「みきは棟梁が預かって飯場においたよ。佐太郎が四年ばかりかまって出てきたときは、みきは尻切れの草履をはいて、リンゴのような頬っぺたで毎日学校に通うとったよ。みきも生きとりゃいお婆あさんになっとる頃やな。
毎年、旧正月の十四日のとうへいの日になると、この可愛そうじゃった大雪の日の悲劇を思い浮かべるよ」
忘れ雪にはまだ早いが、その日を思い出すよに、硝子越しに見える泉水のほとりには、ぼたん雪が落ちて消え、消えては叉落ち消え乍ら、音もなく降りつづいていた。
