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第18話
一等じょうもん
昔の炭坑では葬式は必ず野外の広場で、色とりどりの幟を立てて行った。だから少し広い場所は不文律に葬儀の場所に使われていた。
ふだんはそこが子供達の陣取り、ネン棒、金輪、コマ、パッチンなどの遊び場所でもあった。私がまだ小学校に上がったばかりの幼い頃だった。
その場所でボンヤリ立って、大きな子供達の陣取りを眺めていたとき、二人の若い娘が私の横を通り過ぎた。その一人を子供心にも美しい人やなあと思って見送った。
向かい側からすれ違いに通りかかった若い衆が、3・4人振り返りながら
「おい、あれが一等じょうもんだい」
と言って通り過ぎた。一等じょうもんなんて、あんな人を言うとやろうか。ほんとうにきれいやったなあ、と幼い心の中にも、その美しい面影が沁みこんだのを覚えている。
その日から、もう40年に余る。そしてこの美しいなあと思った名前さえ知らない一等じょうもんの幻像は、いまだに私の心の中でボンヤリと輪郭を描いて浮かび上がってくる。
一等じょうもん、現今で言うミス炭鉱というところか、じょうもんは上物からの訛りであろう。
「望月組の棟梁の弟分に仁助という親父がおってねえ。これの娘のおはまというのが凄い別嬪ぢゃった。ヤマの一等じょうもんと騒がれたものぢゃが、これがまたとてつもねえ出臍でねえ」
おはまには、英作と信吉という二人の兄がいた。父の仁助が若い時分から相当の暴れん坊であった。その血をうけついでか、兄弟とも近所界隈の若いものの中で荒事にかけては群を抜いていた。
ところが、おはまには父もこの二人の兄も、一目も二目もおいていたというから面白い。
信吉などは一度おはまと喧嘩して、アッという間に急所を握られ、気を失った苦い経験がある。仁助がしみじみと、平三郎棟梁にもらしたことがある。
「わしは喧嘩をするとき、傍らに英と信が二人いてくれるよりも、はまが一人いてくれた方が心強うて、思い切ったことができる。あいつが男ぢゃったら、とてつもねえ奴になっとったろう」
こんなことがあった。おはまが12のときでる。その頃おはまは、父親の仁助の後山として、兄弟と共に真卸に近い片盤で、巻き立て仕繰りをやっていた。
その前日、真卸で大きな岩の下敷きになって、卸の先山がそこいら中をまっ赤に染めて死んだ。死んだ翌日から、まだ後片付けも出来ていない。誰もが卸を覗くのも気持ちの悪いときである。
ちょうど昼時になって、弁当を開いた仁助は、フトおはまがいないことに気がついた。昨日の今日である。悪い予感が、仁助の胸を締め付けるように襲ってくる。二人の兄も青くなって父親と一緒にそこら中を探しまわった。
「はま、よーい」
呼んだが一向返事がない。仁助は弁当どころではなくなかった。探しまわった揚句、フト卸を覗くと昨日落ちた松岩の影で薄明かりがしている。
一人で行くのも気味が悪いので、英作と一緒にこわごわ卸に下がってみた。まだあたりは血痕がいっぱいである。おはまはその岩を背に無心に弁当をぱくついていた。
「はま、お前おそろしゅうはねえとか」
兄の英作がきいたら、おはまはけげんな顔をして
「なんでだ」
と言った。
千太郎は平三郎棟梁の急な用件のために、夜に入ってから、峠を越して隣村まで行かねばならなかった。善助が一緒に行こうというのを断って、麻裏をつつかけると、提灯を持たずに家を出た。途中村境に峠がある。
今でこそ道幅も3メートル余りのものができて、トラックが往来しているが、大正の初期は、まだ50センチ足らずの山路だった。日向越えには狐がでる。追剥が出ると人々は恐れ、夜になってそこを通るものはほとんどなかった。
納屋の明かりも、もうこの峠までは届かない。千太郎は全神経を硬直させて、ひたすら道を急いだ。
と、峠を越したところで、ヒタヒタ向こうから人の足音がする。ハテ、今頃ここを通るものが、俺よりほかにあるのか、そう思いながら相手に近づいて行った。暗闇に馴れた眼には、すぐそれが若い女であることが知れて、二度びっくりした。
相手もこちらを警戒しながら近づいてくる。顔と顔とがつき合わすくらいに接近した。
「なんや、おはまぢゃねえか」
「千さんかい、今頃どうしたとな」
おはまの口調は、ふだんと聊(いささか)も変わりなかった。千太郎は自分の声音が上づいているのを恥じながら言った。
「うん、棟梁の用事でな、庄まで行くんや。お前、また今頃、なにごとか」
「畑川のおいさんとこ行って、帰りよるとこたい」
「それにしても女一人・・・・・・」
言いかけて千太郎はやめた。この女は生まれそこないだったと思い直したからである。
「気いつけて帰れよ」
「おおきに」
千太郎は懐手したまま、闇の中へ消えてゆく彼女の後姿を、惚々と見送った。
夏が来た。盆踊りの稽古に若い男女は夢中になった。今年は四十七士の服装で踊ろうということになって、千太郎も古い絣(かすり)をひっぱりだして、それに銀紙を貼り、鈴をつけて義士の火事そうぞくをこしらえていた。
ドドンコドンドン、太鼓が広場から景気よく聞こえてくる。銀紙の裏にのり付けしながら、俺も踊り場へ行ってみようかなあとぼんやり思っているところへ、飯場の表戸が荒々しくガラッと開いて
「助けてくれ」
悲鳴を上げながら、同宿の亀吉が転がり込んできた。間髪を入れず立ち上がった千太郎は、本能的に土間に飛び降り、素早く亀吉を背にして構えた。その後ろから、おはまが血相変えて匕首を逆手に飛び込んできた。
「千さん、どいておくれ。うちやその奴を叩っ斬らにゃ、腹の虫がおさまらんとじゃき」
息をはずませながらおはまが言った。
「まあ待て、兎に角俺に訳をきかせてくれ」
千太郎はおはまをなだめながら、匕首を握っている手首を押さえた。
「この色餓鬼のど助平、相手を見てものをぬかしやがれ。この外道、うちが踊りよるところに来て一寸用事があるちゅうもんで、何ごとぢゃろうかと思うて伴いていったら、納屋のはずれでいきなりうちに抱きつきやがってよ。へっ、馬鹿にすんない。お前みたいなデレ助に、たれが言うことなんか聞くもんかい。そげなこと言うたらうちや怒るよと言うとに、この色餓鬼ゆうたら、そんなら俺も男やから、腕づくでやったるちぬかしやがると。くるなら来てみよゆうて匕首抜いたらこの態たい」
おはまは汚そうに、ペッと土間に唾をはいた。
「よし、もう何も言うな。さあこいつを鞘におさめて、あとは黙って俺に任せてくれ」
千太郎は、もぎ取ったばかりの匕首を彼女に返した。おはまはそれを黙って受け取ると、ふっくらとした前をはだけて、晒の腹巻に首をのぞかせている鞘へ、器用にパチンと音を立てさせた。
「念のために言うとくが、このことは誰にも言わずにおいといてくれよ」
千太郎は入り口から出てゆくおはまの背へ声をかけた。
「わかっとるよ」
うしろをふり返って、何ごともなかったように。ニコッと笑っておはまは出て行った。
身震いするくらいの凄い別嬪ぢゃねえか。おれの嬶アに口説いたら、どう返事するかな。千太郎はフトそんなことを真剣に考えてみた。
「兄貴、ちょっと出てみてくれ、おはまがけがした」
善助が息せき切って延先に駆けつけるなりこう言った。
「なにッ、どこをやったッ」
「函のふちを天井につめたとかで、中指の節から先がとんでしもうとったぜ」
「よし、善、跡片付けたのんだぞ」
千太郎は、安全灯を枠脚からはずして、急ぎ足に出た。巻き立ての近くで、5,6人が何やら足元を一生懸命探している。おはまもその中にいた。
「どうした」
千太郎はおはまの傍らへ寄って声をかけた。
「うん、ここまで押してきたら、函がどまくれで、函のふちと天井に指をはさんで、ちいっと切ったとたい」
「そして、みんな何を探しとるとか」
「うちの指を探して貰うとるたい」
左手を見れば、無雑作に手拭の切れ端で、指先をくくりつけている。布切れは血をいっぱい滲ませて、端からはポタポタ赤黒いしずくがおちていた。
千太郎もじっとしているわけにもゆかず、炭車の中を安全灯を照らしてみた。
隅の魁炭の間に、おはまの中指の先が、第一関節からぽっきり切れて挟まっていろ。
「おはま、これか」
千太郎がつまみ上げて言った。
「うん、これこれ、おおきに」
おはまは喜んで指を受けとると、中指の手拭をはすして、汚れたままの切れた端を中指にくっつけて、上から縛りなおした。
「お前、痛えことねえとか」
千太郎は呆れていた。
「そりゃ痛いにきまっとるよ」
だがその顔は一向平気である。千太郎が付き添って昇坑してから、そのままの足で炭鉱の医局へ伴れていった。
医師が手拭の切れ端をといてみると、中指の先があべこべに付けてある。
「あんたでも、よっぽど遽てたとみえて、先が反対についとるよ」
医師は軽い気持ちでこう言いながら、ピンセットの先でガーゼを挟もうとした。
おはまの血相がみるみる変わった。ハッとそれに気がついて、千太郎がとめようとしたがもう遅かった。おはまの右手が勢いよく医師の頬桁でパチーンと派手な音を立てたものである。
医師の手から、ピンセットが離れて、床にチャリーンと音を立ててとんだ。
「何をする」
医師は頬を押さえて気色ばんだ。
「遽てちょるたあ、なにこくか。こう見えてもおはまはなあ、指の1本くらい落としたところで、遽てもなにもしゃせんぞ。人を馬鹿にすんない」
「まあ、ま」
千太郎が仲へ入った。
「おはま、お前なんちゅうことするとか。先生はなにもそんなつもりで言うたんぢゃねえ。先生すみません。私が付いとってこんなことをっせまして、私に免じて怺えてやって下さい」
千太郎は医師に平謝りに謝った。おはまは千太郎に掴まれた左手を、治療台の上に突き出したまま、頬をふくらませて横を向いた。
看護婦がこわごわ落ちたピンセットを拾い上げて、消毒箱の中に入れた。
「その手は無事、くっついたかね」
「うむ、ついたけど、こういうふうに曲がらんぢゃったねえ」
隠居は自分の中指を出して折ってみせた。
「しかし、そのおはまさん、一等じょうもんだったら、男もできたろう」
「それが、酒もばくちもやらん気の強い女ぢゃったが、たった一つの瑕(きず)が男道楽よ。きりょうがいいから男はなんぼでも寄ってくる。しかしおはまぐらいな女になると、好きと思うて一緒になっても、すぐ男が物足りんようになってくるんぢゃねえ。わしが知っとるだけでも、4,5人は男を代えたもんな」
「隠居も、中の一人は僕なるぞ、の口ぢゃないのかね」
私は鉛筆をしまいながらつついてみた。
「さあ、どうぢゃろうか」
隠居は笑いながら、冷たくなった湯飲みを取り上げた。
