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第25話
けつわり
「吉ちゃん、朝から、なにすねとるとね」
おそのさんは、肌着のチャンチャンコの紐をしめ直しながら、14も年下の若い先山に、駄々っ子でもいたわるような調子できいた。
「・・・・・・・・・」
由蔵は、むっつり黙りこくったまま、スラ棚の上に胡坐をかいて、じっとおそのさんをにらみつけている。
「な、機嫌なおして、鶴は握ってつかっせ。さ働こ。はたらこ」
「うんにゃ、俺あ、のそん(早昇坑)する」
「この人じゃろ、朝っぱらからおかしなことばっかし言うて、折角下ってきたとに、あんたがのそんばしてんなっせ、うちまで弁当さげて一文にもならんやないか。そげなこと言わんと、な、機嫌なおして働らこ」
「そんなら、おそのさんは、どうして俺の言うこと聞いてくれんとな。俺ももう子供じゃねえ。毎日、毎日子供あつかいにして、人を調子にのせて働かしといて、俺のいうことは一向相手にしてくれんじゃないか」
「そう、言うたっちゃ、うちゃ亭主持ちばい。おとっちゃんな今柏屋におるばって、もう近いうちに、こっちへござらすとばい。おとっちゃんが来たとき、あんたとおかしな話でも聞いてごらんどう言うて言い開きをしますな。吉ちゃんも若いとやから、こげな婆さんを相手にせんでも、若いじょうもんがなんぼでもおろうもん。さ、そげな無理言わんと働いてつかっせ」
「俺あ、おそのさんが好きでたまらんとばい。しんから好いとるからこそ、俺あ今日まで辛抱してきたとばい。年が上なら、どうあるとな。俺がまだ19なら、おそのさんを好きになったら悪いというとな」
「吉ちゃん、あんたの気持ち、ようわかっとるばって、うちはどうにもならんと。もし人にでも知れたら、どうしますな。うちが、あんたをだましたことになるやろ。まさか吉ちゃんと二人づれでけつわるわけにもいかんじゃろうもん」
「おらあ、おそのさんとなら、どこでも行く」
「その話なら、仕事がすんでからにしようや。な、機嫌なおして腰上げてつかっせ」
「うんにゃ、俺あこのまんまのそんする。そして上がってから、みんなに言うてやる。朝っぱらから、おそのさんにくどかれて、腰が抜けて仕事ができんから上がって来たと言うてやる。」
「そんな、そんな無茶なこと、ね、たのむからそんなことだけは言わんといて」
「うんにゃ、言うぞ。今日俺の言うことを聞いてくれんごとありゃ、俺はのそんする。そしてみんなに言うて言いまくってやる」
「な、吉ちゃんはいい人やろ。うちをそういじめんでもええやろ、な」
「俺あ、悪者になってもよか。おそのさんを自分のものにできんごとありゃ、おそのさんもまっとうに道を歩かれんごと、みんなに言うてやる」
「吉ちゃん、うちや、どうすりゃ、ええとな」
おそのさんは困惑した。亭主より一足先に模様見がてらこのやまへ来て働いているが、便り次第で亭主もあとからここへやってくることになっている。そして単身、ここの飯場を頼ってきて、まず有り付けられた先山がこの吉蔵である。
19といっても、腕の立つこの先山に見離されることは、後山としても大きな傷手であった。それにおそのさんも、もう亭主と別れて一月に余る忘れていた女盛りの肌の淋しさが、誰も通らぬ暗い切羽で、今この一途の若者を前にしてふと甦えると、理性と情熱の血潮が、俄然彼女のやわ肌の下にふくれる血管の中で、はっけよい、はっけよいと四つにくんで、激しい押し合いを始めていた。
しばらくたって、肌着のチャンチャンコに顎を埋めて、じっと考えこんでいたおそのさんが、しずかに立ち上がると、
「吉ちゃん、誰にも言うたら、いかんよ」
そっと、やさしく吉蔵の肩に手をかけた。
「吉ッ!!一寸ここに来いッ!!」
千太郎は或る日、変な噂を耳にして、自分の居間に吉蔵を呼びよせた。
「貴様、おそのに手をかけたな。隠そうたってそうはさせねえ。おそのの眼を見い。四六時中、貴様の身体を追うて血走っとるじゃねえか。あの眼は只の先山と後向きの眼じゃねえ。結構近づきになった眼の色や。貴様、おそのに亭主があることを承知で手をだしたんか。あと四、五日もすりゃ、おそのの亭主がやってくる。俺達としちゃあ、折角腕の立つ先山を見捨てとうはねえが、間男をそのまま見逃したんじゃあ、何も知らぬ亭主にすまねえ。今からとは言わねえ、明日中に、どこでも好きなところにふっとんで、望月の飯場から消えて失せやがれ。貴様ぐれえの腕がありゃ、何も好んで人の嬶アに手を出さんでも、若え別嬪をなんぼでもくっつけてやるんじゃったに。なんちゅう馬鹿たれかこん外道」
吉は黙ったまま不貞腐れたような顔つきで自分の居間に帰っていった。荷ごしらえといっても何もない。吉はその夜、ふらりと外へ出るようにして、望月の飯場から姿を消した。
だが次の朝、飯場の若いものに、吉蔵だけでなくおそのの姿も見当たらなぬと報されて千太郎はびっくりした。
「ちきしょう、二人してけつわりやがったかな。ばかたれ共が」
千太郎は、何か裏切られたような気持でうんざりさせられた。四,五日して粕屋から望月の飯場を頼って、おそのの亭主がやってきた。
「そうですか、わたしに甲斐性がないもんやから、仕様がござっせん。どこに行ったところで、同じこと。折角ここに頼ってきたとやから、ここで使うて貰いたいけど、おそのが不始末をしでかして、わたしがここで働いたんじゃ恥ずかしゅうござんすけん、わたしゃ筑前口の方へガメツキ(仕事探し)に行ってみまっしょ」
人の好さそうなこの亭主は、草鞋の紐をとかずに、すぐいづれかに立ち去って行った。
めまぐるしい千太郎の生活は、いつの間にか、おそののことも、吉蔵のことも、それからおそのの亭主のことも忘れさせていた。
もう、わくら葉がチラホラして、雨もよいの空からは、霙でも降ってきそうな冷たい晩秋のある日、千太郎は労務の詰所で、けつわり夫婦がどやされているときいてハッとした。
「おその達ではあるまいか」
不安が胸をかすめて麻裏をつっかけると、労務の詰所へ急いだ。飯場の若い者が5,6人あとからついてきた。
労務の前では10人ばかりの男女が、物おじ顔で、こわごわ中を覗いていた。
「この、ばか者どんがあ」
大きな声に続いてピシリと鞭の音がした。ついでヒーッと女の悲鳴が千太郎の新造につきささった。ポトッ、にぶい音がおきると、ウーンと男のうめき声が聞こえる。人がきをわけて中に入ると不安は適中して、正しく土間に転がっているのは裾もあらわな乱れ姿のおそのだった。
その向こうで吉蔵は天井から台車綱(マニラロープ)でつり下げられ、取締りの一人が成木の切れはしで背中をつづけさま叩き上げていた。
1、2回眼を廻しかけたと見えて、吉蔵はバケツの水を浴びせられ、ずぶぬ
れになった身体からはまたポトポト雫が落ちていた。
「待ってください、塚田さん」
おそのの髪をにぎって、頭をふり廻している取締の手を押さえて千太郎は静かに言った。
「なにおう」
ふり向いた塚田取締は、それが千太郎であると知ると、ふり廻す手を止めて表情を和らげた。吉蔵を叩いていた取締も手を休めてこちらを向いた。
「大取締さんに申し上げます。後程棟梁平三郎改めて挨拶に罷(まか)りこ
しますが、取りあえず千太郎、棟梁に代わりまして二人の身柄望月組に下げ渡しの程、お聞き届け下さいまするようお願いに参上仕(つか)りました。もともとこの二人不届至極でございます故、これより飯場へつれ戻り、充分折檻致しますれば、何卒よろしくお取計らい下さいますようお願い申し上げます」
千太郎はピタピタになった土間へ座って手をついた。大取締が千太郎に寄ってきながら、ふり向いて言った。
「おい縄をといてやれ、千太、今日のところはお前の顔を立てよう。平三郎ともよう相談して、二人の身柄を片付けてやれ」
「早速お聞き届け下さいまして有難うございました。お礼には叉のちほど平三郎にお伴してお伺いすることと致しまして、二人の身柄、一まず千太郎がお受け致します」
千太郎は入口へ向かって顎をしゃくると、若い者が5,6人入ってきて、吉蔵とおそのを抱きあげた。
「隠居、吉蔵とおそのは一緒にさせたかい」
「うんにゃ、別れさせた。さすがにおそのの方が行末を案じて別れようと言い出した。吉蔵は間もなくどこかへ草鞋をはいたが、おそのは残って叉まじめに働きだした。半年程して先夫の居所がわかったので、飯場から便りを出して亭主をつれてきたよ。棟梁とわしが仲へ入って世帯を持たせたが、それからはついおそのの浮いた話は一ぺんもきかなんだよ」
「それにしてもつり下げて叩くとはひどいな」
「昔はけつわりを捕えると、ひどい目にあわせたからなあ。只言わず語らずわからんだけの話で実際に辺鄙な島などでけつわりそこねたものが、いくら叩き殺されたか知れたもんじゃない。天井からつり下げて目茶苦茶に叩く。5分程もするとウーンといって目を廻す。そりゃ伸びたぞといって傍にくんであるバケツの水をぶっかける。息を吹きかえす。叉叩く、伸びる、水をかける。女なんか着物はおろか腰巻まで取り上げて入口の柱にくくりつける。わしらのような若い者はまともにその前は通れんじゃったねえ。どんなに炭坑を美しいものにしようと努力する人がいても、昔の炭坑がみんなに嫌われたのは、こんなのが一番大きな原因じゃなかったかねえ」
いつもの癖で、一つの話題が終わると、隠居はさも旨そうに、大きく煙を吸い込んで、ブーッと天井へ吹き上げた。
