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第17話
野焼き
明治43年10月、福岡県田川郡の一角に強烈なコレラが流行した。
町も村も炭坑もこのコレラに震いあがらせられたが、とりわけ炭坑の納屋はひどかった。
罹患した納屋の附近にはお義理に石灰が撒かれ縄が張られたが、その他の家へは石炭酸一つ、いや石灰一つ撒かれなかったのである。
伝染病に対する何らの予防知識をも持たぬ上に現今とは比較にならない消毒設備の貧困さの中におかれた往時の納屋住まいの坑夫たちは何一つこれを積極的に防ぐ方法を講ずることができぬ有様だった。
「かからんものは運がよかとたい」
あきらめにも似た恐怖の中で、せめて自分だけはかからぬようと、必死に神様に祈りながらあがくだけだったのである。
生気の消えた悲惨なヤマの納屋からは、今日も呻吟(しんぎん)する声が洩れ、棺桶が次々と運ばれて行った。
コレラに罹ったら死ぬ。米のとぎ汁のような白い液を吐いて下して、ひからびたミイラのようになって死んでゆく。
絶対に助からない病気だと恐れおののいていた人たちは、それが身寄りのない下罪人(渡り坑夫)ででもあった場合は、まだコーヒー粕のような嘔吐をもよおしている初期の者でも担架にのせて山へ運んだ。
うんうん呻っているものも中にはいたし、はなはだしいのは、担がれてゆく担架の上から手を差し伸べて、助けてくれえ、と叫びながら火葬場へつれてゆかれた。
当時は、火葬場すら一つの村にあるかないかである。
大方のものは野焼きで荼毘にふされた。
野焼きの方法は、長さ1.8メートル・幅50センチ・深さ30センチ程度の穴を掘る。底は舟底にして中央部を凹ませ、その上に短い軌条か松の生木をいくつも桟にかけた。その上に棺をおく。底に若干の薪木を入れ、棺の両側にも薪を立てかけ、上には5,6枚の蓆(むしろ)をかけた。野焼きの連中は火をつけるとすぐ横の草原に円座をつくり、沢庵を肴に、携行の酒を一杯やりながら握り飯にぱくついた。
火が程よく廻り、棺が火に包まれて、もう大丈夫と思うまで、その横で炎を見守りながらの酒である。
今時、このような有様は、戦争へでも行った連中でなければ、想像もしがたい無気味な光景であったに違いない。
こうした悲惨きわまる伝染病の犠牲にもかかわらず、炭坑の福祉施設は一向によくならなかった。そして、この惨禍は再び大正7年10月に、炭坑といわず町といわず、全国津々浦々にまで波及した恐ろしいスペイン風邪となって、老若を問わず地獄の底へ叩き込んだ。
他聞にもれず衛生施設の乏しい炭坑も、容赦なくこの大きな災難の渦の中に巻き込まれていった。
毎日死んでゆくものは8年前のコレラの比ではなかった。始めのうちは棺桶も間に合ったが、しまいには棺桶がない。拾ってきたセメン樽につめこんで野焼きに行ったものがあった。
昔のセメン樽は、金たがでなく、竹たがであったため、竹のほうが早くはじいて、ばらばらになった樽のなかから死体が放り出され、翌朝骨拾いに行ったところ半焼けにもなっていない仏が、火おけの外に転がり出ていたという。
セメン樽でも手に入ればいい方で、とうとう叺(かます)に入れて、野焼き場へ持ってゆく状態にまでなってしまった。
千太郎は、今日も叺に入れた死体を荒縄で吊るして、野焼き場まで担がせられた。
あの人も、この人も―知っているヤマの荒くれ達の中から、歯が抜けてゆくように、一人減り3人5人と欠けてゆく。喧嘩相手の男も、ばくち相手の嬶ァもと、もう何人死んでいったろう。
これが俺の明日の姿ぢゃねえだろうか。フトそんなことも考える。だが若い千太郎の肉体は、8年前のコレラの時もそうであったが、今度のスペイン風邪にも何の歯ごたえすら感じないで、この病菌を刎ね飛ばし続けてきた。
穴を掘ってなま松を敷く。その下へ携行の薪を挿しこむ。2,3人と一緒に千太郎はもうこの頃はだいぶ野焼きも要領よくなってきた。
「そら入れるぞ」叺をかかえて、そっと松の丸太の上に仏をうつ伏せに寝かせた。
「待ってくれ。それぢゃ仏が下向きになるぢゃろうから。どうして上向きに寝かせてくれんとな」
身寄りらしい付き添いの男が、千太郎の傍らでなじるように言った。
「上向きにしたら臓わたがいつまでたっても焼けんから半焼きにしかならんばい。これだけの焚きもので焼こうと思うなら、うつ伏せにせにゃ焼けるもんか」
「そんな馬鹿なこと言いなさんな。うつ伏せにしたっちゃ、仰向けにしたっちゃ焼くることに変わりがあるもんか。第一仏さまがそんな格好で焼かれたんぢゃあ、たまらんわい」
「冗談じゃねぇ。俺も20人近い人間を焼いてきて、どうして焼いたらよう焼けるかぐらいはわかっとる。焼くこた俺に任せて貰いてえ」
千太郎も少しむかっときて答えた。
「いいや、あんた達が何と言おうと、この仏はうつ伏せには焼かすることならん。仰向けにしておくれ」
尚も執拗に自説を主張してくる。
「ようし、その代わり半焼けになったところで俺は知らんぞ」
叺すぐ仰向けにされて火がつけられた。円座になって、沢庵をかじりながら冷酒を入れた湯呑みを抱えている千太郎は、この野郎一つ嚇かしてやれと意地悪くその機会を狙った。
やがて炎が叺を包み、皮膚の焼けただれる悪臭が、そこから一面を這い廻ってくる。この臭さにも馴れたみんなは、ガヤガヤしゃべりながら湯呑みの酒をかたむけていた。
ヂ、ヂ、ヂ、ヂと皮膚の焦げる音。もうすぐ、千太郎は息をのんでじっと炎の中をみつめた。
炎は風にあふられて、赤黒い背伸びをさかんに繰り返した。と、仰向けにした叺の中から不意に両腕がニューと飛び出し、焦げかかった叺の底を破った両脚が中空へ向かってバリッと音を立ててつき出した。間髪を入れず千太郎は
「そら、出たあ」
大声を上げて円座の外へ、脱兎の早さで駆け出した。死体の舞踏を見た他の連中もあわてて千太郎の後から逃げ出した。
逃げ遅れた身寄りの男も裸足になって後ろから青くなってとんでくる。20メートル程も走ってから、もうよかろうと千太郎は足をとめた。
みんな青くなって千太郎の周りにとまった。身寄りの男は唇まで紫色にしてガタガタとふるえている。
「そう、そう、逃げてもつまらんぜ。もう一辺引っ返して、よう焼くるとこを見らんことには、俺達のつとめは終っとらんぞ」
みんな無言のまま千太郎のうしろからついてきた。見れば炎の仲の仏は、両腕と両脚を炎の外に突き出したままである。
「こりゃいかん。これやったら手と足は焼けやせん。一寸親類のひと、あんたがこうして焼けと言うたんじゃろうが。早う手と足をしばってやらにゃ、半焼けにもなりゃせんばい」
身寄りの男は青くなってうろうろしていた。あまり嚇(おど)しても仕様がないので、千太郎は縄きれを水に浸して仏の手先にかけ内側から引っ張った。
腕はうまい具合に胸まで戻ったが、右足のほうは膝の関節からポッキリ折れた。赤身が炎の中に一寸出て、すぐ黒幕に覆われるとプツリと音がして又赤身が出る。仰向いた腹部が狸の腹のようになった。
「あんたが仰向けに寝かせたばかりに、こんな按配によう焼けんとぢゃから、あのパンパンの腹を横にしてやらんといつまでたっても焼けんよ」
千太郎は身寄りの男に意地悪くつめよった。身寄りの男は仕方なしに、竜の頭をつけた竿をとって仏の腹のあたりを押した。
ボスッ、何とも言えぬ濁った音がして膨満した腹が破れ、竿の先から煮えくり返った臓腑が飛び出して、その男の顔や手足にとびかかった。
「ワァーッ」
火傷と怪異に度肝をとられた身寄りの男は、皮膚についたとばっちりを引っ掻きながら、千太郎の足元で狂い廻った。
「あんまりきれいな話ぢゃないんで、よっぽど話すまいかと思うたんぢゃが、ついあんたに誘われて話してしもうた。
昔の炭坑なんてものは、この話でもわかるように、衛生施設なんちゅうもんは、てんで話しにならんし、第一今考えてみりゃ人間の住居より豚小屋の方がよっぽど近かったくらいによ」
「流感は全国的に流行したことは、島村抱月がやっぱり大正7年10月にこいつで死んで、松井須磨子があとを追って自殺したことで知ってたけれどその前のコレラも広い範囲に流行したのかね」
「知るもんかいな。明治の終わりぢゃろうが。その頃、新聞でもとっとるもんといやあ、村長さんくらいなもんで、こちとらのような坑夫にゃ、縁のねえもんぢゃったからなあ」
笑いながら立ち上がった隠居が、テレビのスイッチを入れた。隠居の大好きなプロレスがもう始まっている頃である。
