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第13話
ガス焼き
藤島の隠居が流感で寝ていると聞いて、夕食の後、袷に着替えてぷらりと家を出た。三寒もすんで四温の暖かさか、大寒のさなかというのに春先のような錯覚を肌に感じる。
格子戸を開けると茶の間の炬燵の中で、隠居は老眼鏡を掛けて漫画を見ていた。
「ありゃ、風邪じゃというもんじゃから来て見たが、大病じゃねえ」
「うん、今度の風邪は飯が喰えんでなあ、今朝からやっとお粥にありついたよ」
隠居は老眼鏡を外して漫画の上に置いた。お手伝いさんの出してくれた羊羹をつまんでよもやまの話をしているうちに、私はフト隠居の鶴のような首筋を見て、一度は聞いてみようと思いながら忘れるともなくつい延び延びになっていたことを思い出した。
「隠居、いっぺん聞いてみようと思うとったが、あんたの首筋の皮は黒う引きつっているけど、そりゃどんな火傷かね」
「うん、これかい。ようわかったねえ。ガスで焼いたとたい」
「そうじゃなかろうかと思うとった。いっぺんその曰く因縁がききてえなあ」
「またかい」
それでも隠居は別に嫌な顔もせずにぽつりぽつりと語りだしてくれた。
話は世紀を逆に半回転した50年前に遡る。何の変哲もない毎日の明け暮れである。朝の三時に叩き起こされて、道具袋を肩にかけ夕方まっ黒に汚れて飯場に帰る。
ただ、それだけの連続を千太郎も、善助も毎日毎日繰り返していた。そして今朝も夜明けの明星を眺めながらに下がってきてからずっと節頭をふりつづけている。
二人とも全裸の身体に一杯汗を浮かせて無言のままである。
足元の水溜りには、幾十とも知れぬ気泡が澱みなくブクブクとうるさい音を立てて無数の波紋と一緒に水面で躍って跳ねていた。
「タンサンがよう出るねえ」
節頭の手を休めて千太郎が善助をふり返って呟いた。答えるように節頭をおいた善助も鉢巻の手拭をはずすと汗を拭いた。
しばらく息を入れて足元に活動を続けている気泡を見入っていたが何を思ったか善助が
「兄貴、面白えことして見せちゃろうか」
と言って安全灯を握ると中腰になった。
「どげえするとか」
「まあ見ちょれ」
何をしでかすのかと思って見ていると、器用な手つきで安全灯の油壺を左の掌にのせ呼吸を合わせていたが、いきなり右の掌で鑰のところを前方に向かってバシッと勢いよく叩いた。ガチャンと音がして訳もなく安全灯の鑰がはずれ腰ガラスの下から善助の手の動きにつれてクルクル廻り始めた。
「何をするとか」
「そのマイトの包んじょる紙をちいっと引きさいてくれ」
善助は聊か得意である。千太郎に渡されたマイトの包紙のきれはしを受取ると、今開けた安全灯の火をつけた。
「危ねえことないとか」
千太郎はどうも悪いことをしているようで気がとがめてならない。それでも半ば好奇心にかられて敢えてとめる気にもなれず、その手許を見ていると善助は盤際のブクブク噴き上げているところへその火を静かに近づけた。
ポツと軽い音を立てて小さな青い火が水面から燃え始めた。と、その火が次から次と水面に軽い音と共に拡がって、まるで不知火のようにメラメラと燃え続けた。
勢いよく燃えるものもあれば消えては又、火を呼び、燃えては又消える火もある。
「ほう、お前物知りじゃねぇ」
千太郎はタンサンがこう綺麗に燃えることは知らなかった。感心しながらこの可愛い狐火のような青い焔の群れを眺めていると、向こうから誰かが安全灯の灯をブラブラさせながらこちらへ近づいて者がある。小頭の柏原だった。
「なにしとるとや」
柏原は立ち止まってから、始めて足元の青い火に気がついた。
「やめとけ、やめとけ。このガスは火をつけたらバアンちゆうことがあるとだい。危ねえから消しとけ」
千太郎と善助は粉炭を投げかけてその火を消してしまった。柏原小頭は天井へ向かって鼻をならしていたが
「こりゃいかん。天井にも溜まっちょるじゃねえか。今のうちに焼いとこかねえ」
独り言をブツブツ言いながらポケットから手帳を出すと、一枚無造作に引き裂いて千太郎をふり返った。
「お前たち、今何で火をつけた」
「善の安全灯の灯でつけたとばって・・・」
「そん灯ばもう一ぺん借してみれ」
善助の安全灯はすぐ開いた。その火に紙片を持ってゆくと、紙片はそこいら一面をパッと明るくして赤黄ろく燃え上がった。
「いいか、地べたにつく這うちょけよ。火をつけるぞ」
千太郎と善助は盤際に姿勢を低くして、柏原小頭の手元を見ていると、柏原はその火をいきなり天井へ抛り上げた・
バッと鼓膜にひびくような音がして、青い焔がメラメラと天井を這って行った。同時に柏原小頭も、千太郎達の横にすぐ身を伏せた。2,3回青い焔が大きな息をするように伸び縮んでいたが、すぐ音もなく消えた。
「ほう、美しい火じゃねえか」
起ち上がりながら千太郎は感心した。善助が起ち上がってきいた。
「それで、もうすんだとな」
「うん、もうガスは無か。これでマイトばかけたっちゃ、心配ねえ」
それから小頭は、お前たちが勝手に火をつくることならんぞと言い残して、巻立の方へでて行った。千太郎も善助も思い出したように節頭を拾い上げて差し込んだままにしているノミの頭を勢いよく叩き始めた。その後も時々柏原小頭がやって来ては、天井へ向かってクンクン鼻をならしているかと思うと、ポケットからマッチを取り出して、紙切れに火を移し、天井のガスを焼いてから何ごともなかったように出て行った。千太郎達も青い火を天井へ這わすことは今ではめずらしいことでもなくなってきた。
そうこうするうちに、月じまい総取りがやってきた。千太郎達の延先の30メートルばかり手前に払座作りの昇りがある。
そこまで検収がやってきたとき、真っ先に昇りを上がりかけた柏原小頭が、フラフラと泳ぐようにしたかと思うとあわてて引き返してきた。
「こりゃ、いかんばい。ガスがしこたま溜まっとる。誰かうちわを持ってきてくれんか」
そこの後山の女が、大きな渋うちわを持ってきた。小頭はそれを受け取ると、バタバタ天井へ向かってやっていたが、ふりかえって本田主任に言った。
「本田さんもし、焼きまっしょうかなあ」
「うむ、危ねえことないじゃろうか」
「心配ござっせんばい。こん模様なら、焼いた方が早うござっしょ」
「そんなら焼くとするか」
みんな昇口の手前で腰を下ろした。千太郎も善助と一緒に、上がり仕度をすませ、みんなの横で腰を下ろして、柏原小頭の手許をぼんやりと眺めていた。
小頭はおもむろに、ポケットからマッチと手帳を取り出して、手帳の中から一枚の紙を引き裂きそれをたんねんに幾重にも折って細長くした。
マッチをこすって紙片の先端に火を移してから柏原はゆっくりと昇りへ向かって姿を消した。千太郎の横に座っていた十三、四にもなろうか、今年やっと小学校を下りたくらいの測量の小取がいきなり立ち上がって昇り口の方へめずらしそうに走りよった。
「おい、あんちゃん、危ねえぞ。こっちへ来てつくばっちょかんか」
千太郎が声を掛けた途端、耳もとで天地が炸裂したような、とてつもない大きな音響がして、チラッと赤黄色い光を見た瞬間、千太郎の身体は3,4メートル手前へふきとばされていた。
全部の安全灯の火が消えて、漆黒の闇の中を、千太郎はレールを手探りで伝いながら、巻立へ向かって全速力で這って出た。
漸く巻立へでたとき、本線を上のほうから今の音響を聞きつけて5,6人こちらへ走ってくるのが眼にとまった。
ここまで来ればもう安心である。千太郎は急に首筋がヒリヒリ痛むのを感じた。次々にみんなが出てきた。
「二人足りんぞ。柏原と測量の小取が出てこんじゃねえか」
本田主任が大声で叫んだ。
「なにい」
たった今、音響を聞きつけて駆けてきた連中が5,6人、水に浸した手拭を鼻に押し当て、一塊になって奥へ飛び込んだ。
「可愛そうに、子取のあんちゃんは、すぐ助け出されて上にあげたが、その晩死んだよ。柏原小頭は、顔と手をやけどしとったが、火を吸うとったんじゃろう、医者もつまらんと言うとったが、こいつが命冥利な奴でねえ、かれこれ半年も入院しとったろうか、癒(なお)ったよ。
それから後ガスを焼くときは、濡れた蓆(むしろ)をかぶって行くといいと聞かされたが、どうも一ぺんこんな目に遭うとおそろしゅうなってねえ。わしかい、首筋を少し焼いただけじゃった。そんでもなんぼか火を吸うとったんじゃろう、一週間くらい頭が痛かったなあ」
「他の者はどうだったかね」
「うむ、みんな似たりよったりよ。善助の奴、よっぽど遽(あわ)てたとみえて、足の生爪をどっちじゃったか剥がしてねえ。こいつの方がよっぽど痛いと言うとったよ」
「隠居、さっきからタンサン、タンサンと言ってたけれど、あれは炭酸ガスじゃねえ。メタンガスと言うのが本当だぜ」
「そうかい、わしらはみんなタンサンちゅうとったもんな」
隠居は、ゴホンゴホンと軽い咳をすると、懐紙を出して口に当てた。
今日は会社に暖房のタイマーを入れるため出勤し、西港第4埠頭とこれから出来るであろう第5埠頭間の道路を利用してスピード練習してきた。この場所は通行止めになっていて、前から目をつけていた。でも今日は寒く(マイナス4から5℃)良い練習にはならなかったと思う。最初奥まで走りその後中間までも折り返しとした。300mくらいと思い走ってみると1分17秒かかった。これを5回続けた。その後、車で距離を測ってみると400mあり3分/kmくらいのスピードで走っていた。自分でもびっくりした。その後は大阪女子マラソンを見ていた。渋井さん残念。
明日から仕事で焼く1週間練習できないかも知れないな・・・・。
東京マラソンまで21日。今月の走行距離164km .
